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どういった仕草が一番君に伝わるのか

これしか出来ないと思うのではなくて、これなら出来ると思うのがいいよ、と教わった。
君は何もしないんじゃないし出来ないんじゃないよ、と言われた。
私はそれがとても嬉しくてその日から1日の中に目標を立てることにした。
まず、やってみることにした。

一昨日は小説にチャレンジした。成功した。吉本ばななの小説。
昨日はアニメを2話観ることに成功した。これは昭和元禄落語心中
今日は映画を一作観ることに成功した。これはイミテーション・ゲーム
やろうとして出来なくても良いと思いながら何かに手を伸ばしている。
今のところは成功しているけれど、きっとダメな日はダメだろう。
与えられている仕事はイベントにしろ家事にしろいくら具合が悪くても何とかこなしている。
それだけをこなすのにも必死なのだけれど、何か出来たことがあると1日が嬉しくなる。
私にとって娯楽はまだ娯楽じゃない。ただのチャレンジだ。
正直、読んだ後や観た後は相当消耗している。
これを人は娯楽と呼んで息抜きとしているんだよなぁと思うとクラクラしてしまう。
すごいキャパがでかいんだな、元気な人の脳って。
私には重労働な脳の働きです。チャレンジの気持ちじゃないと出来ません。そんな最近です。

あまり調子が良くないと思わず日記から離れてしまう。
集中して書くことが酷く難しいのだ。それに文字が頭に浮かんでこない。
だからここ数日離れていたのだけれど、今日もやはりうまく文字が浮かんでこない。

このところ気になるのがお酒が全く美味しいと思えなくなってしまったことだ。
イフェクサーに変えたからだろうか、それともホルモンバランスだろうか。
すぐに気持ち悪くなってしまって飲めない。
お酒はなくても生きていけるけど少し寂しい。
多少は楽しめたら良いなと思うものが飲めなくなるのはそれは寂しいこと。

そういえばイフェクサーにして何が変わったかって感情の波が消えてしまった。
変に悲しむことも無くなったけど、楽しいや嬉しいも同じく消えた。
ただ時折無性に泣きたくなるのは変わらない。
感情は本当はある方がいい。最近は感情がぼやけすぎていて人と話していても上手くのっていけない。
必死にトーンを上げている感じ。
このままだと少し困る。もう少し様子をみよう。そもそも抗うつ剤がこういう作用をする薬なのだとしたら私は今まで何を飲んでいたんだって話になるのだけれど。

とにかく今日は映画を観られて嬉しかったよ。

鼻歌を口ずさめばなんだって出来る気がしてくる

とてもとても久しぶりに歌を歌いました。
しかも複数の人前でアカペラでいきなり歌うということをしてしまいました。
素直に言うと、とても楽しかったです。
私が物心ついて最初に飛びつくように好きになったのは歌だったのです。
歌が好きで合唱部にも入ったし、何より母がとても歌の上手い人なので褒められたい一心でした。
どうにもこうにもメンタルがうまく行かなくなって忘れていたようなのですが、私は歌うことが好きだったなぁとぼんやり思い出しました。
昔のように歌えないし、腹式呼吸も弱くなってしまったし、きっとキーも出なくなっている。
それでも、鼻歌でも歌うことが楽しいと思えた時間はとても貴重で嬉しかったです。
お聴きくださった方々には失礼いたしましたの気持ちと有難うを。
私は歌うことが好きでした。そして今もまだ好きみたいです。

この歳になってきて考え方が変わったことの一つに、人に「死ぬな」と言うことが難しくなってきたという点がある。
ああ、この人はもうそこまで頑張った結果の結論なのだとしたら楽になりたいよねって気持ちがわかってしまうから、下手に止められない。
「生きていたらいいことあるよ」なんて言えない。こんなにも無責任な言葉は無いなと思う。
だってその人の人生の責任を取ってあげることもできないし。
もう疲れたんだよね、ってわかってしまう以上何が正解かわからない。
止めることはただのエゴだ。
私が「死ぬな」と言える相手はきっと、何が何でもお前からは離れてやらねぇからなと心に決めた相手だけだ。
一緒に泥水すら啜ってもいいと覚悟できる相手にしかやっぱり言えない。
そりゃあ死んでほしくはないけれど、死ぬなと言い切れるほど私も強くないという話。

私は今年が分岐点なのかもしれない。
本当に今後の人生を左右するような。
正直とても悩んでいる。
でも、悩んで悩んで苦しんでこの土地で生きてきたのだし、もういっそ飛び出してしまってもいいんじゃない?っていう思いが強い。
変化が欲しい。目に見える大きな変化。
やってみてどうなるかはまた別の話として、やるだけやってみるのも悪くないよねっていう話。
だって私の人生だから。


追記
相手が努力をどれだけしているかわかっている。けれどまだ伝えきれていない気持ちが溢れ出してしまう。
どうしたらいいものかな、と言葉にした後悩む。
多分、飲み込み続けたら私は本当に壊れてしまう。それは確かなこと。
でも相手の努力も素直にすごいと思うし、敬意を示したいし、力になりたいと思う。
やはり必要なのは歩み寄りですね。人はどこまでいっても歩み寄りが大事な生き物ですね。
前向きな話を出来るならしたいさ。私だってそう思う。けれど、前向きな話をする前にしなければならない話し合いもあるわけで。それは絶対に避けて通れないのだから仕方ない。前向きな話につながるかどうかはそれ次第だ。
暴風雨というか、酷い嵐の中を1人立ち尽くして落とし所を私は必死に探したよ。
今度こそ向き合って話そうよ。前向きな話になるまでとことん。

世の中には色んなタグと承認欲求が存在していておかしいね

春らしくなってきましたね。
冬に続き私と相性最悪の季節です。
冬が何も頭が働かないとするならば、春は加速しすぎて行き場がどこにも無くなるような季節。
主治医も言っていたよ。春が一番メンタルを崩す人が多いんだって。
単純に私は孤独なのだろうな。
先行く人々をただ見送ることしかできない無力感。
私の努力は実を結ぶのかと言う圧倒的な不安感。
あと数歩がなかなか進まない。一進一退を繰り返していて悔しくてたまらないんだ。

インフルエンザは無事に何事もなく終わりそうです。
まだ一週間経たないので、それまではいい子にしているつもり。
あと二日間もあるなんて嫌になっちゃうね。




ってここまで書いて2日ほど放置しました。
文章がまるで書けない。そして読めない。
今日はクリニックチャレンジだったので重い体を引きずって行ってきたのですが見事にぶん殴られて帰宅しました。
「鬱々とした感情はどうにもできない。抗っても仕方ない。耐えろ」
そうだねー、知ってるー、やっぱりねー。
私の主治医は寄り添い型ではありません。
貴方は貴方で治していくしかないと徹底している医師なのでこれは予測の範囲内です。
イフェクサーに変えたのをもう少し見守ろうねとの結論で本日終了。
しかし心が弱っている時に寄り添い型の医師ならなんて言うんだろうなと思ってしまうのは我儘ですね。
私が今の医師とやっているのは認知行動療法なのですが、頭打ち感が否めませんね。
投薬と認知行動療法ではここまでかな、というのが結論に近い。
ではどうしようね、どうしようかという状態。
それでもね、昔よりは遥かにマシになったね、私。とも思うんだよ。
健忘も無くなってはいないけど減ってきたね。
薬はちゃんと守れているね。解離は変わらないけど昔ほど酷くないね。
きっとね、良くはなっているんだけど、焦りがどうしようもないね。人と比べても仕方ないんだけどね。比べてしまうのは良くないな。

今日はクリニックの帰りにあられが降りました。
まだ、冬に戻ったり春になったりと変な時期です。そりゃあ私も変になりますね。
自分の為にどうあるのが一番楽なのか、改めて考えて過ごす日々になりそうです。
居心地がいいのと、楽なのは別だからね。
春は濁流のようで怖いな。飲み込まれてしまいそうだ。その中で必死に掴む枝を探して足場を探している。

寝ぼけ眼でうつらうつらと夢を見ていたよ

変なスイッチが入ってしまっている。
何かしなきゃ、何かやらなきゃ、出来る今のうちに、何かをしなくちゃという焦り。
完全に脳内が覚醒しているので薬で沈めた。
あとは時間の経過を待って眠りに就くのを待つだけなのだけれどそれまでがしんどい。
何に狙われているわけでも、この世の終わりでも無いのに、異常な焦燥感が襲ってくる。
自分でもこれはなんなんだろうと思う。そしてそういう時は疲労を一切感じない。
疲労の伝達回路が壊れてしまっているのだろう。
疲れるということがわからない日と、悪夢からの目覚めで寝起きから疲れている日どちらかしかないので極端だ。
私の悪夢は最近、この半年に起こったことが多い。そこに混ざりこんでくるのが殺す殺される刺す刺される逃げる。平和はどこ?

カウンセリングにもう一度チャレンジしようと思うのだけれど、どうにもこうにもいいカウンセラーがヒットしない。田舎特有の不便さだ。
何だか怪しそうなカウンセラーしかヒットしない。それが星5つとかついてるんだから世の中びっくりだよ。
私1人では今まで抱えてきた傷の追体験をするのは危険だし不可能だから、ここはプロに任せた方が無難だろう。それにしてもまともなカウンセラーが居なさすぎる。驚くね、ここまでいないと。
そして田舎には保険適用で受けられるカウンセリングが無いっぽい。これは金銭的に致命的すぎる。一回に5,000円とか取られてたら破産する。治すどころの話じゃない。
遡るとすると幼少期からの話になるので恐らく長期戦になるだろう。本当は追体験なんてしたくない。けれど、ここで整理しないと前に進めない気がする。いよいよ私としても手詰まりだ。正直もう術がない。この体を操縦する術がない。
自律訓練法もそれなりにいいなとは思った。
私はもう間違った選択をしたくないから、自分を幸せにしたいから、なるべく冷静な判断能力を養いたい。情に流されたりはもうしたくない。
だって、私を幸せに出来るのは私だけだと好きな人が教えてくれたから。


ここまで書いて寝落ちしてた。

私の頭はお花畑

「ほら、私って単純だから」ってふと思った。
驚くほどバカ単純だ。
なんだかんだ言って、コロリと幸せな顔で笑う時がある。
それはたった数時間のことなのだけれど、それだけでももう幸せだから良いのだ。
ああ、馬鹿だなぁと思う。
馬鹿だなぁと思いながら、また次の単純な時間を待ちわびる。単純でいられたらいい。
何事でも、単純であれたらいい。


カフェインというものがあまり得意ではないのだけれど、コーヒーだけは平気なのでつい忘れがちになる。
昨夜、久々に緑茶を飲んだら思いっきり眠れなくなってしまった。
眠りについたのが4時過ぎ。起床時間は7時半。
思いっきり眠い。
そもそも飲む分量を間違えた。1.5リットルも飲むべきではなかった。反省。
烏龍茶はコップ一杯で気持ち悪くなってしまうので飲めない。
居酒屋に行ってソフトドリンクでお茶を頼みたいなと思うと大体が烏龍茶でがっかりしてしまう。
ほうじ茶とか麦茶とか置きませんかね。
そうしてくれるととても有り難いのだけれど。


私は社会の仕組みに関して無知すぎる。
何がどうその時に必要で、何があって生活が成り立っているのかぼんやりしたまま生きてきてしまった。
このツケをこれから沢山支払うのだろうな。
その時になったら目一杯社会制度と戦おう。
福祉の制度に関しては知識が多いのはやっぱり経験だね。
なんでも知っておいたほうがいい。
歳を重ねるたびに思う。無知は怖い。
だから私は私が怖い。


母がインフルで倒れて2日、父が罹患した。
笑うしかない。なんだこの家。
私にはインフルの気配がまるでないのでいいのだけれど、困ってしまった。
夫婦で仲良くおさまってほしい。
これ以上猛威を振るわれては困る。
私は私を隔離したい。自分の身は自分で守る以外ないのだ。
母は既に暇そうにドラマを観ている。
父は成り立てて顔が病人だ。
私は効いてこない薬と睡眠不足のせいで頭がぼんやりしている。
健康な人間が昼間に1人もいない。酷い家庭だ。


あまりにも幸せだった後はいつだって少し寂しいような、虚しいような、なんとも言えない気持ちになる。
取り敢えず目標は生き延びること。
薬がどうであろうと体がどうであろうと生きてりゃ勝ちだ。とりあえず、今はそれ。

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結論はいつだって単純明快に出せるものだよ

おやすみ、と眠りに落ちてから30分で目が覚めた。最早これは中途覚醒でもない。
ただの仮眠だ。それからずっと眠れていないのだから困ってしまうね。
過敏性が顕著。薬の切り替わりの時期だから致し方ないのだけれど早く金曜日になって欲しい。
あ、最近はベッドに戻れています。ご心配をおかけしました。ベッドは正義ですね。
ここが優しい場所であることを久しぶりに実感できています。

だからと言って夢見がいいかと言われたら悪く、昨日はひたすら自分に追いかけられる夢だった。凶悪な顔で笑いながら追いかけてくる自分。
それを撃退する方法は一つしかなくて、「お前は一生幸せになれない、お前は一生幸せになれない!お前は一生幸せになれない!」と叫び続けること。
多分これは私が私自身に植えつけた深層心理だ。いろんなことを諦めようとした時に改めて思ったことだった。幸せって何だろう。
今ですら十分幸せのはずなのにね。
自分に「幸せになれない!」と言い切る夢のあとはほんの少し泣きたくなった。
こんなに悲しいことを自分に言うこと無いじゃんね。

ふと、虚しくなる。
相手の言葉をどこまで信用したらいいのかわからない人間の私は、行動しか信用できない。
言うことは簡単だ。とても。
言葉なんていくらでも並べられる。
けれどどれも行動ほどの威力は無い。
もう、言葉にはたくさん疲れたので意味のある、先のある言葉を聞いていたい。
そして、それに伴った行動をしてほしいし、していたい。これは私の個人的なことだ。
ただ、それを他人に強制は出来ない。だって言われたからやるでは続かないから。無理が生じるから。
だから私は何も願わない。願ってされるくらいならば、自発的にしてほしいと言うものだ。
自発性の伴わない行動など、無いに等しい。
願って無理した先はあまりにも哀れだと私はもう知っているから、そんなものは見たく無い。
結局人の言う「本気」って個々の中で温度差のようなものがある気がする。

この体、本当に大丈夫か?ってちょっと心配になる最近。どうにもこうにも上手くいかないね。あれが良ければこれが駄目で何とかそれでもやってきたけれど、今はあれもこれも駄目でじゃあこうしてみようとやってみてもまるで無駄だ。
流石に自分の体がいよいよ心配になってきたくらいには自覚し始めた。これ、周りがヤバいって言うはずだわって。でもまあ生きているのでいいでしょ。まだ生きてるだけまし。

雑記:思った事をありのまま書いていたらどうなるのだろうね

見た目が大体の印象を決めてしまうというのはとても悲しいことだと昔から思っている。
目から入って来る情報はそれだけ多く、致し方ないし、所詮他人の感じたことなど此方側は変えることもできないのでどうしようもないのだけれど。
それでもやっぱり、悲しいなと思う。


昨夜ふと、余裕がないのだなと気付いた。
私はマイペースなのだけれど、他者との繋がりが生まれた時に自分のペースでいいよと言われてもそれが上手くできない。
目的があって、それに対する下準備があって、そして果たしたい目標があって…と考えていくととてもマイペースにはしていられなくないか?と思う。
関わる人数が増えれば増えるほど、そして自分の置かれている位置がどういう位置か考えれば考えるほど。
特にいま私が置かれている立ち位置は人が動いて結果を出してくれないと動けない立場なので余計そわそわしてしまうのだと思う。
昔からみんなで楽しくとか、みんなでワイワイが根本的に下手だ。
あなたも楽しんでいいよと言われても、いきなり遊び方のわからないおもちゃを差し出された気分になる。
だから、今関わっている人たちと居る時はいつも訓練のような気持ちになる。
ワイワイすることの訓練。楽しむ訓練。


幼稚園に入る前の遊び相手は、近所の女の子たちは一斉に私を省いていたので結果的におじいちゃんおばあちゃんだった。
近くの家によく庭の剪定をしているおじいちゃんがいて、くわえ煙草でバチバチと剪定をしていて。
そこを私が通るとニヤリと笑って脚立から降りてきた。そして、そのおじいちゃんの特別の部屋によく入れてもらった。
薄暗い小屋の中に色んな剥製がズラリと並んでいて、知らない演歌が流れていて。コップはいつ洗ったかわからない小汚さなんだけれどそこにお茶をいれてくれて。
けれど何を話すわけでもなくて、おじいちゃんは演歌を歌ったり剥製をいじったりしていて。
私がいる事は御構い無しで。ただ、それがとても嬉しくて私はそのおじいちゃんが大好きでたまらなかった。
殆ど会話はしていない。「お?来たな?」と言われることと、おじいちゃんのタバコの匂いと、剥製の多さと、コップの汚さと、知らない演歌。
幼い私は何を考えてそこに居たのか知らないけれど、居心地が良かったことだけは事実だ。
そのおじいちゃんの家庭は、私が小学生になった頃ある日忽然と姿を消した。夜逃げに近かったらしい。
だから、さようならも何も言えていない。
私の年の離れた特別で大好きな親友のようなおじいちゃん。最近その人のことをよく思い出す。
私と遊んでくれていたおじいちゃんおばあちゃんは皆んな亡くなっていった。あの頃の私を知っている人たちはもう居ないんだな。


吉本ばななの本をよかったら読んでと渡された。本の共有をしたいと思ってもらえることはとても嬉しいことだ。
だから、きちんと読もうと思う。スイッチさえ入れば2日で読み終えられるだろう。
私は何を共有しようかな。読み終えた時に、私からも何か渡したいなと思っている。


日記にもならないような雑記しか今は打てない。薬がまだ体と仲良くしてくれなくて驚くほどにパワーが出ない。量も少ないから仕方ないね。
本当に書きたいことはいつだってウェブには書けないんだ。