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鼻歌を口ずさめばなんだって出来る気がしてくる

とてもとても久しぶりに歌を歌いました。
しかも複数の人前でアカペラでいきなり歌うということをしてしまいました。
素直に言うと、とても楽しかったです。
私が物心ついて最初に飛びつくように好きになったのは歌だったのです。
歌が好きで合唱部にも入ったし、何より母がとても歌の上手い人なので褒められたい一心でした。
どうにもこうにもメンタルがうまく行かなくなって忘れていたようなのですが、私は歌うことが好きだったなぁとぼんやり思い出しました。
昔のように歌えないし、腹式呼吸も弱くなってしまったし、きっとキーも出なくなっている。
それでも、鼻歌でも歌うことが楽しいと思えた時間はとても貴重で嬉しかったです。
お聴きくださった方々には失礼いたしましたの気持ちと有難うを。
私は歌うことが好きでした。そして今もまだ好きみたいです。

この歳になってきて考え方が変わったことの一つに、人に「死ぬな」と言うことが難しくなってきたという点がある。
ああ、この人はもうそこまで頑張った結果の結論なのだとしたら楽になりたいよねって気持ちがわかってしまうから、下手に止められない。
「生きていたらいいことあるよ」なんて言えない。こんなにも無責任な言葉は無いなと思う。
だってその人の人生の責任を取ってあげることもできないし。
もう疲れたんだよね、ってわかってしまう以上何が正解かわからない。
止めることはただのエゴだ。
私が「死ぬな」と言える相手はきっと、何が何でもお前からは離れてやらねぇからなと心に決めた相手だけだ。
一緒に泥水すら啜ってもいいと覚悟できる相手にしかやっぱり言えない。
そりゃあ死んでほしくはないけれど、死ぬなと言い切れるほど私も強くないという話。

私は今年が分岐点なのかもしれない。
本当に今後の人生を左右するような。
正直とても悩んでいる。
でも、悩んで悩んで苦しんでこの土地で生きてきたのだし、もういっそ飛び出してしまってもいいんじゃない?っていう思いが強い。
変化が欲しい。目に見える大きな変化。
やってみてどうなるかはまた別の話として、やるだけやってみるのも悪くないよねっていう話。
だって私の人生だから。


追記
相手が努力をどれだけしているかわかっている。けれどまだ伝えきれていない気持ちが溢れ出してしまう。
どうしたらいいものかな、と言葉にした後悩む。
多分、飲み込み続けたら私は本当に壊れてしまう。それは確かなこと。
でも相手の努力も素直にすごいと思うし、敬意を示したいし、力になりたいと思う。
やはり必要なのは歩み寄りですね。人はどこまでいっても歩み寄りが大事な生き物ですね。
前向きな話を出来るならしたいさ。私だってそう思う。けれど、前向きな話をする前にしなければならない話し合いもあるわけで。それは絶対に避けて通れないのだから仕方ない。前向きな話につながるかどうかはそれ次第だ。
暴風雨というか、酷い嵐の中を1人立ち尽くして落とし所を私は必死に探したよ。
今度こそ向き合って話そうよ。前向きな話になるまでとことん。

世の中には色んなタグと承認欲求が存在していておかしいね

春らしくなってきましたね。
冬に続き私と相性最悪の季節です。
冬が何も頭が働かないとするならば、春は加速しすぎて行き場がどこにも無くなるような季節。
主治医も言っていたよ。春が一番メンタルを崩す人が多いんだって。
単純に私は孤独なのだろうな。
先行く人々をただ見送ることしかできない無力感。
私の努力は実を結ぶのかと言う圧倒的な不安感。
あと数歩がなかなか進まない。一進一退を繰り返していて悔しくてたまらないんだ。

インフルエンザは無事に何事もなく終わりそうです。
まだ一週間経たないので、それまではいい子にしているつもり。
あと二日間もあるなんて嫌になっちゃうね。




ってここまで書いて2日ほど放置しました。
文章がまるで書けない。そして読めない。
今日はクリニックチャレンジだったので重い体を引きずって行ってきたのですが見事にぶん殴られて帰宅しました。
「鬱々とした感情はどうにもできない。抗っても仕方ない。耐えろ」
そうだねー、知ってるー、やっぱりねー。
私の主治医は寄り添い型ではありません。
貴方は貴方で治していくしかないと徹底している医師なのでこれは予測の範囲内です。
イフェクサーに変えたのをもう少し見守ろうねとの結論で本日終了。
しかし心が弱っている時に寄り添い型の医師ならなんて言うんだろうなと思ってしまうのは我儘ですね。
私が今の医師とやっているのは認知行動療法なのですが、頭打ち感が否めませんね。
投薬と認知行動療法ではここまでかな、というのが結論に近い。
ではどうしようね、どうしようかという状態。
それでもね、昔よりは遥かにマシになったね、私。とも思うんだよ。
健忘も無くなってはいないけど減ってきたね。
薬はちゃんと守れているね。解離は変わらないけど昔ほど酷くないね。
きっとね、良くはなっているんだけど、焦りがどうしようもないね。人と比べても仕方ないんだけどね。比べてしまうのは良くないな。

今日はクリニックの帰りにあられが降りました。
まだ、冬に戻ったり春になったりと変な時期です。そりゃあ私も変になりますね。
自分の為にどうあるのが一番楽なのか、改めて考えて過ごす日々になりそうです。
居心地がいいのと、楽なのは別だからね。
春は濁流のようで怖いな。飲み込まれてしまいそうだ。その中で必死に掴む枝を探して足場を探している。

寝ぼけ眼でうつらうつらと夢を見ていたよ

変なスイッチが入ってしまっている。
何かしなきゃ、何かやらなきゃ、出来る今のうちに、何かをしなくちゃという焦り。
完全に脳内が覚醒しているので薬で沈めた。
あとは時間の経過を待って眠りに就くのを待つだけなのだけれどそれまでがしんどい。
何に狙われているわけでも、この世の終わりでも無いのに、異常な焦燥感が襲ってくる。
自分でもこれはなんなんだろうと思う。そしてそういう時は疲労を一切感じない。
疲労の伝達回路が壊れてしまっているのだろう。
疲れるということがわからない日と、悪夢からの目覚めで寝起きから疲れている日どちらかしかないので極端だ。
私の悪夢は最近、この半年に起こったことが多い。そこに混ざりこんでくるのが殺す殺される刺す刺される逃げる。平和はどこ?

カウンセリングにもう一度チャレンジしようと思うのだけれど、どうにもこうにもいいカウンセラーがヒットしない。田舎特有の不便さだ。
何だか怪しそうなカウンセラーしかヒットしない。それが星5つとかついてるんだから世の中びっくりだよ。
私1人では今まで抱えてきた傷の追体験をするのは危険だし不可能だから、ここはプロに任せた方が無難だろう。それにしてもまともなカウンセラーが居なさすぎる。驚くね、ここまでいないと。
そして田舎には保険適用で受けられるカウンセリングが無いっぽい。これは金銭的に致命的すぎる。一回に5,000円とか取られてたら破産する。治すどころの話じゃない。
遡るとすると幼少期からの話になるので恐らく長期戦になるだろう。本当は追体験なんてしたくない。けれど、ここで整理しないと前に進めない気がする。いよいよ私としても手詰まりだ。正直もう術がない。この体を操縦する術がない。
自律訓練法もそれなりにいいなとは思った。
私はもう間違った選択をしたくないから、自分を幸せにしたいから、なるべく冷静な判断能力を養いたい。情に流されたりはもうしたくない。
だって、私を幸せに出来るのは私だけだと好きな人が教えてくれたから。


ここまで書いて寝落ちしてた。

私の頭はお花畑

「ほら、私って単純だから」ってふと思った。
驚くほどバカ単純だ。
なんだかんだ言って、コロリと幸せな顔で笑う時がある。
それはたった数時間のことなのだけれど、それだけでももう幸せだから良いのだ。
ああ、馬鹿だなぁと思う。
馬鹿だなぁと思いながら、また次の単純な時間を待ちわびる。単純でいられたらいい。
何事でも、単純であれたらいい。


カフェインというものがあまり得意ではないのだけれど、コーヒーだけは平気なのでつい忘れがちになる。
昨夜、久々に緑茶を飲んだら思いっきり眠れなくなってしまった。
眠りについたのが4時過ぎ。起床時間は7時半。
思いっきり眠い。
そもそも飲む分量を間違えた。1.5リットルも飲むべきではなかった。反省。
烏龍茶はコップ一杯で気持ち悪くなってしまうので飲めない。
居酒屋に行ってソフトドリンクでお茶を頼みたいなと思うと大体が烏龍茶でがっかりしてしまう。
ほうじ茶とか麦茶とか置きませんかね。
そうしてくれるととても有り難いのだけれど。


私は社会の仕組みに関して無知すぎる。
何がどうその時に必要で、何があって生活が成り立っているのかぼんやりしたまま生きてきてしまった。
このツケをこれから沢山支払うのだろうな。
その時になったら目一杯社会制度と戦おう。
福祉の制度に関しては知識が多いのはやっぱり経験だね。
なんでも知っておいたほうがいい。
歳を重ねるたびに思う。無知は怖い。
だから私は私が怖い。


母がインフルで倒れて2日、父が罹患した。
笑うしかない。なんだこの家。
私にはインフルの気配がまるでないのでいいのだけれど、困ってしまった。
夫婦で仲良くおさまってほしい。
これ以上猛威を振るわれては困る。
私は私を隔離したい。自分の身は自分で守る以外ないのだ。
母は既に暇そうにドラマを観ている。
父は成り立てて顔が病人だ。
私は効いてこない薬と睡眠不足のせいで頭がぼんやりしている。
健康な人間が昼間に1人もいない。酷い家庭だ。


あまりにも幸せだった後はいつだって少し寂しいような、虚しいような、なんとも言えない気持ちになる。
取り敢えず目標は生き延びること。
薬がどうであろうと体がどうであろうと生きてりゃ勝ちだ。とりあえず、今はそれ。

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結論はいつだって単純明快に出せるものだよ

おやすみ、と眠りに落ちてから30分で目が覚めた。最早これは中途覚醒でもない。
ただの仮眠だ。それからずっと眠れていないのだから困ってしまうね。
過敏性が顕著。薬の切り替わりの時期だから致し方ないのだけれど早く金曜日になって欲しい。
あ、最近はベッドに戻れています。ご心配をおかけしました。ベッドは正義ですね。
ここが優しい場所であることを久しぶりに実感できています。

だからと言って夢見がいいかと言われたら悪く、昨日はひたすら自分に追いかけられる夢だった。凶悪な顔で笑いながら追いかけてくる自分。
それを撃退する方法は一つしかなくて、「お前は一生幸せになれない、お前は一生幸せになれない!お前は一生幸せになれない!」と叫び続けること。
多分これは私が私自身に植えつけた深層心理だ。いろんなことを諦めようとした時に改めて思ったことだった。幸せって何だろう。
今ですら十分幸せのはずなのにね。
自分に「幸せになれない!」と言い切る夢のあとはほんの少し泣きたくなった。
こんなに悲しいことを自分に言うこと無いじゃんね。

ふと、虚しくなる。
相手の言葉をどこまで信用したらいいのかわからない人間の私は、行動しか信用できない。
言うことは簡単だ。とても。
言葉なんていくらでも並べられる。
けれどどれも行動ほどの威力は無い。
もう、言葉にはたくさん疲れたので意味のある、先のある言葉を聞いていたい。
そして、それに伴った行動をしてほしいし、していたい。これは私の個人的なことだ。
ただ、それを他人に強制は出来ない。だって言われたからやるでは続かないから。無理が生じるから。
だから私は何も願わない。願ってされるくらいならば、自発的にしてほしいと言うものだ。
自発性の伴わない行動など、無いに等しい。
願って無理した先はあまりにも哀れだと私はもう知っているから、そんなものは見たく無い。
結局人の言う「本気」って個々の中で温度差のようなものがある気がする。

この体、本当に大丈夫か?ってちょっと心配になる最近。どうにもこうにも上手くいかないね。あれが良ければこれが駄目で何とかそれでもやってきたけれど、今はあれもこれも駄目でじゃあこうしてみようとやってみてもまるで無駄だ。
流石に自分の体がいよいよ心配になってきたくらいには自覚し始めた。これ、周りがヤバいって言うはずだわって。でもまあ生きているのでいいでしょ。まだ生きてるだけまし。

雑記:思った事をありのまま書いていたらどうなるのだろうね

見た目が大体の印象を決めてしまうというのはとても悲しいことだと昔から思っている。
目から入って来る情報はそれだけ多く、致し方ないし、所詮他人の感じたことなど此方側は変えることもできないのでどうしようもないのだけれど。
それでもやっぱり、悲しいなと思う。


昨夜ふと、余裕がないのだなと気付いた。
私はマイペースなのだけれど、他者との繋がりが生まれた時に自分のペースでいいよと言われてもそれが上手くできない。
目的があって、それに対する下準備があって、そして果たしたい目標があって…と考えていくととてもマイペースにはしていられなくないか?と思う。
関わる人数が増えれば増えるほど、そして自分の置かれている位置がどういう位置か考えれば考えるほど。
特にいま私が置かれている立ち位置は人が動いて結果を出してくれないと動けない立場なので余計そわそわしてしまうのだと思う。
昔からみんなで楽しくとか、みんなでワイワイが根本的に下手だ。
あなたも楽しんでいいよと言われても、いきなり遊び方のわからないおもちゃを差し出された気分になる。
だから、今関わっている人たちと居る時はいつも訓練のような気持ちになる。
ワイワイすることの訓練。楽しむ訓練。


幼稚園に入る前の遊び相手は、近所の女の子たちは一斉に私を省いていたので結果的におじいちゃんおばあちゃんだった。
近くの家によく庭の剪定をしているおじいちゃんがいて、くわえ煙草でバチバチと剪定をしていて。
そこを私が通るとニヤリと笑って脚立から降りてきた。そして、そのおじいちゃんの特別の部屋によく入れてもらった。
薄暗い小屋の中に色んな剥製がズラリと並んでいて、知らない演歌が流れていて。コップはいつ洗ったかわからない小汚さなんだけれどそこにお茶をいれてくれて。
けれど何を話すわけでもなくて、おじいちゃんは演歌を歌ったり剥製をいじったりしていて。
私がいる事は御構い無しで。ただ、それがとても嬉しくて私はそのおじいちゃんが大好きでたまらなかった。
殆ど会話はしていない。「お?来たな?」と言われることと、おじいちゃんのタバコの匂いと、剥製の多さと、コップの汚さと、知らない演歌。
幼い私は何を考えてそこに居たのか知らないけれど、居心地が良かったことだけは事実だ。
そのおじいちゃんの家庭は、私が小学生になった頃ある日忽然と姿を消した。夜逃げに近かったらしい。
だから、さようならも何も言えていない。
私の年の離れた特別で大好きな親友のようなおじいちゃん。最近その人のことをよく思い出す。
私と遊んでくれていたおじいちゃんおばあちゃんは皆んな亡くなっていった。あの頃の私を知っている人たちはもう居ないんだな。


吉本ばななの本をよかったら読んでと渡された。本の共有をしたいと思ってもらえることはとても嬉しいことだ。
だから、きちんと読もうと思う。スイッチさえ入れば2日で読み終えられるだろう。
私は何を共有しようかな。読み終えた時に、私からも何か渡したいなと思っている。


日記にもならないような雑記しか今は打てない。薬がまだ体と仲良くしてくれなくて驚くほどにパワーが出ない。量も少ないから仕方ないね。
本当に書きたいことはいつだってウェブには書けないんだ。

曇り-貴方とは親しくなれないけど言いたいことはわかる

眠気待ちである。
今日は本当に荒れ狂っていた。何も効かなかった。何もかもダメ。
雑記を書いた後、フローリングの上で寝ていた。フローリングの居心地が良すぎる。
硬い。冷たい。2時間以内に目を覚ます。不思議と体も痛まない。
流石に夜はベッドで眠らないと、と思って眠気をひたすら待っているが気配がない。
いや、多分これは若干の眠気なのだけれどベッドに入り込めるほどではない。
夜のフローリングは冷たい。
そういえば、今の私は電気を消して眠れない。
これはもう半年前から。まだ消して眠れない。
電気のついた部屋でフローリングに死んだように横たわっているいい歳の馬鹿だ。笑ってくれという感じでしかない。

明日はミーティングがある。
顔合わせ程度の軽いものだけれど。
それなりに連絡事項があるので纏めておかないとね、と電話で打ち合わせをした。
こういう時の私は何処から生まれているんだろうというくらいハキハキしている。
責任の生じる立ち位置にいると、人間変わるものだ。あれこれと話し合った。
フローリングの上で死んでいようと打ち合わせだけはしっかりできるのだから立派。
その時だけでもまともなだけ宜しい。
私の仕事が増えてくる。うーん、参ったね。
やるけどね。やるよ。コアメンバーだもの。
代わりにやってくれる人は居ないしね。

Twitterに流れてきたRTに、少々不快感を覚えたけれど、この人は一体何者なのだろうという好奇心が勝ってその人のツイートを見ていた。
うん、言いたいことはわからなくもない。時折同意できる。多分問題は言い方だ。
そうやって読んでいるうちに不快感は消えていた。
基本的に不快感を感じたら、まずは徹底的に相手の発言を遡るようにしている。
特にネットでは。
そうすると意外に共通認識があったりして、面白い。親しくはならないだろうけど言いたいことはわかるなぁって頷いて終わり。
文章がまともで、言いたいことが一貫していれば基本「貴方はそういう人なのね」で終わる。
嫌わずに済む。嫌うのはエネルギーを使うからあまりしたくない。結局合うか合わないかだ。
合わなければさようなら、おしまい。
そういう人を見つけるたびにいろんな人がいるんだなって思う。



早朝5時。書いたまま寝落ちをして早朝覚醒
眠るって難しいね。部屋の中が冷たい。
部屋を暗くして寝ろって話なだけな気がするよ。わかってるんだ。
間接照明でも買ってこようかな。それなら真っ暗にならなくて済む。ね。
ふと、この地獄は何処まで続いてるのかなと思ったら笑ってしまったよ。
少しでも早く楽な道に戻れたらいいなあ。
戻れるように1日1日過ごそう。今の私には1日1日が限界だ。
健気な自分も目一杯愛してあげよう。