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曇り

バックホーンのインタビューに、「嘘か本当かじゃない、嘘か本気かなんだ」という言葉を見つけて思わずハッとして言葉が止まらなくなってしまった。

どうしても「それは本当に?」と問いがちなのだけれど、本音は「それは本気なの?」だった気がすると思ったら余計にたまらなくなった。

本気って結構恐ろしいもので、自分が食らいついている限り終わらないものだからそれを言葉にして相手に示すというのはとても凄いことだなと思う。

未来は未知数で何があるかわからないから何処まで誠実になれるかといえばその気持ちは本気かどうかなのだろう。

 

「好き」とか「愛してる」とかありふれてしまった言葉に人はどれだけ本気を注いでいるのだろうなとふと思った。

自分の感情に乗せられて発した言葉になっていなければいいなと強く思う。それはあまりにも虚しいことだから。いや、それも一つの形なのだけれどあまりにも変化しやすい気がして私は寂しい。

自分が面倒臭い性質なのは百も承知して言うけれど、その想いが叶わないとしてもその言葉を言い切れるか?と思うときがある。

自分には結構問い続けていて、だからこそ簡単にそういった言葉は口にしたくないし、出来ないなと思う。

逆にだからこそ、口にしているときは根っこからの愛情であり忠誠であり、終わりはないのだよと示していたい。

例え今言葉にしている形ではなくなっていくとしても、根底にある感情である「好き」や「愛」に終わりはないよって言っていたい。とても綺麗ごとではあるのだけれどいつまでもそれはどんな形になろうと相手に抱いていきたいと思う。

言葉は簡単に形を変えてしまえるものだし、生きていたら人間の関係性は簡単に形を変えてしまえるものだから、せめて相手に示すその瞬間だけは本気でありたいと強く思う。

今この場が取り繕えたらいいものではなくて、10年、20年、50年先も振り返った時に嘘じゃなかったよ、やっぱり本気なんだよってきちんと自分に言える言葉を相手には投げていたい。

その時に「本気だった」と過去形にするのではなくて進行形で抱けていたらどれだけ幸せだろうと思う。相手が例え目の前にいなくても、そう思い続けられる人に出会えたならどれだけ幸せか。

 

移ろいやすくて変化しやすい世界に生きていると何かにしがみつきたくなってしまう。

それはなるべくわかりやすくて通じやすいものがいい。だからこそそれが言葉であったり音楽であったりするのだろう。

その時にしっかりと掴んで、糧にして、一歩踏み出していこうと思える強さになるもの。

だとしたら、それはやっぱりインタビューにある通り「本当」かよりも、「本気」であってほしいし、そうでありたい。

人ってそんなに強くないし人って何かにしがみつきながら生きるものだと思うから。

「不変」であれば一番いい。けれどそれはあまりにも起こりえないものであることを生きれば生きるほどに痛感してしまうから、せめてその時に揺るぎない「本気」を示してくれないか。

 

これを重いという人は沢山いるのだろうな。

けれど愛を語るならとことん重くありたいな。

だってそもそも愛は軽いものじゃない。感情の根っこに住み着いて離れないような、簡単に引っこ抜けないような、そんなものであると思うから。

一度愛した人たちを決して忘れないのはそういうことなんじゃないかと思うし。一度愛した人は今でもきちんと愛しているし。愛の形は変わってしまえど。

重くていいじゃないか。それが本気なのだから。

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