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晴れ

クラムボンを聴きながらぼんやりとしていたら、音楽に付随した記憶たちが溢れ出してきてとてもじゃないけど聴いていられなくなってしまった。別れ話を繰り返していた頃に車の中で聴いていたのが悪かったのだろう。クラムボンはいつだって私にとっては優しくて温かい音楽だったのに今ではこんなにも突き刺さる。希望を捨てずに意地だけで立っていたあの頃が懐かしいけれどまだ数ヶ月しか経っていないんだからおかしいね。痛くて当たり前なんだ。それにしても別れ話を繰り返していた時に何故平和の象徴であるかのようなクラムボンを何度も聴いていたんだろうか。恋人たちが肩を寄せ合って聴くような曲ばかりだというのに場面を完全に間違えていた気がする。諦めていなかったからだね。きっとそうだ。

 

今のこの世の中からSNSとLINEなどのサービスが消えてしまったら私の周りにはどれくらいの人たちが残るのだろう?とぼんやり考えてみた。携帯が無くなることはありえないから、携帯までは無くさないとしても。微妙なラインの人達が何人もいるなということと、案外アナログな文通でやり取りしている友人たちが少なくないなということに気付いた。多分、本当に必要な人たちってそれらが無くなってしまってもきちんと身の回りに残るのだろう。微妙なラインの人達はそこまでの人達なんだろうな。どうにもこうにも現代っ子だからあれやこれやで繋がりすぎている気がする。本当に繋がりたい先はどれか、わからなくなってしまっている気がしてならない。多分、一握りでいいんだ。私を知っていて欲しい人なんて。思い浮かぶ顔にほんの少し照れて嬉しくなる。私にはきちんとそういう人たちがいる。大丈夫。

 

自分の気持ちに素直になれる人って才能なんじゃないかな、と最近思う。それはあなたのとても素晴らしい特質なんだよって。素直ってとてつもなく難しくて、時に痛くて、時に幸せで、時に残酷だ。そんな様々な顔を持つ素直と向き合える人って凄いなって思うんだよ。私は素直が人一倍苦手だから、足りない頭を何度も回転させて、自分の本音によくわからない理由付けをして1人で落ち込むし1人で問題を解決したふりをする。もっともっと素直と向き合える人間であったらよかったのにな。素直な人は逞しくてかっこいいなと思った。強がって大丈夫だと笑いたがる私はいつも素直から顔を背けて大切なものを取りこぼしている気がする。

 

ガガのアルバムがとても良くて最近はひたすらリピートしている。派手じゃないのだけれど、流れてくる音の一つ一つがとても丁寧で聴いていて心地いい。どこまでも伸びていく彼女の歌声にはピアノとギターの音がとてもよく似合う。たくさんの音はいらない。彼女の歌声そのものがもう一つの楽器のようでもあるから。そういえば最近は音の多くないシンプルな曲を好んでいる気がする。宇多田ヒカルの新譜も同じようにとてもシンプルだった。元々音が多く重なっている曲を聴くと耳が混乱してしまって音楽として上手く受け取れない癖があるから、やっぱりシンプルなのが一番いいんだ。

 

唐突に友人から「明日でも明後日でも土曜でもいいんだけど飲もうよ」と連絡が来た。善は急げだ!明日飲むぞ!と返信してから返事がこない。宛先を間違ったのだろうか。急に飲みに誘ってくれる友人がいるというのはとても有難いこと。しかしこの体で飲めるのかどうか。いや、飲んで見せるけれども。

 

私の愛情が今、大売り出しのようにとめどなく溢れているのがとてもおかしくて。今、この瞬間でなくてはいけない気がした日からずっとずっと溢れ続けている。10年後、私はこの日々を振り返ってどんな気持ちになるのだろう。出来れば笑っていて欲しい。後悔をしないために愛が溢れているのだから、後悔だけはしたくないな。

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