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晴れ

薄々感じてはいたのだけれどやっぱりそうだよなぁ、と思うことの一つに、「私はこだわりが少ない」という点がある。好きなものや執着しているものが人よりも少ない。ざっくばらんに音楽が好き、本が好き、寝る事が好きとかはあっても、求める事が多くない。

やっぱりそうだな、と気付いた出来事の一つに、お付き合いしていた人と家具を選ぶ日々が続いた事があったのだけれど、とにかく相手は一つ一つにきちんと望む事があり、理想があり、部屋のイメージをきちんと構築して選んでいて。反対に私はといえば機能性重視でそれ以上は多く求めないこだわりの無さが露呈していた。その時に、一つ一つのものにきちんとこだわりを持てるというのはとても素敵な事だなと羨ましくなったのを覚えている。使い勝手が良ければそれで良しなんてちょっと悲しすぎるよなぁと。

髪型もずっとショートカットだけれどこだわっているからではなく、単に伸びてくると我慢ができなくなるだけである。服に対しても動きやすくて重くないことだけを基準にしているし、食に至っては消費できるカロリーをそれなりに摂取していたらいいんでしょう?という具合で、栄養バランスを考えろ!と最近も怒られた。今現在使っている携帯はiPhoneなのだけれど、多分これもいつでもAndroidに出来るくらいにはiPhoneであるから使っているわけではない。ああでも使い慣れてしまうと離れられないからこれはまた違うかなぁ。

こだわりがないからなのか何なのか自分でもわかってないのだけれど、その代わり使い始めたらとことんまで使い切るという性分なのですぐに買い換えるということをしない。それが駄目になってしまうまでとことんそばに置く。使い続ける。愛着があるから?と聞かれたらそこはノーで、ただ単にこれがあるから他はいらないという執着のなさで使い続ける。自分の性格が本当によくわからない。

二十代は残り少なくなったので最早いいとして、三十代に入ったら何かこだわりをきちんと持ちたいなぁと思っている。何でもいいってちょっと悲しすぎる。でも、だからこそ生きる上であまり物質に対して思い悩んだりしないから楽なのだけれど。

ここまで書いてきて、ああ私こだわりがあったわと一つ浮かんだのが文章。こういう言葉の使い方だけはしたくない、この言葉の用い方はしたくないがきちんとある。本も好きな分野がはっきりしている。一つでもあってよかったと今心から安堵している最中。

 

今までお付き合いしてきた人たちにも「俺のこと好きじゃないでしょ?」って尋ねられた事が少なくなくて。いやそんなことないよ、好きだよと言っても上手く伝わらず。何で毎回こうなるんだろう?って不思議に思っていたのだけれど多分私には執着心のようなものが希薄だからなのかもしれない。十分心から好きだしじゃなきゃ付き合うなんてことはしないし。ちょっと損な性格をしている。毎回貴女は俺のことを本当に好きでいてくれていたんだね、と気付いてもらえるのは大抵別れた後で。だからこそ別れた後も友人関係としてとても大切にしてもらえているから有難いのだけれど。別れた後で特別な存在として大切にされるよりは付き合っている時にきちんと受け取って欲しかったよねっていう我儘。

世間の女性たちはもっとこうぎゅっと相手のそばに寄り添って離れがたく生きているのかしら。私もそうしているつもりなのだけれど深さが違うのかしら。粘度や湿度がきっと違うのだろうね。何かしら届いていない至らない部分が私にはあるのだろうね。これもまた悲しいこと。けど、今回の大騒動では私も全力で相手に縋ったので、今回のお相手ばかりは私の愛情が馬鹿なほど伝わっているでしょうと信じたい。

 

色々とまとめ上げると私は生きること自体にあまり執着がないのだろうなと思う。生きて存在して身近なものを好きでかためるという行為そのものに興味がないのだと思う。明日も明後日も一年後も十年後も必ず生きていたいなんて思った事がないし。生きているとも思えないし。自分がいつ終わるのか不確かだけれどけど確かに訪れる死に抵抗がない。恐怖心はもちろんあるけれど致し方ないことに抵抗はできないから。常に身軽でいたら終わる時にさほど困ることもないだろうし悲しみも少ないんじゃないかって思ってしまう。保身の類が働いているのかもしれないね。はい、ではさようなら!って終わっていくより、死にたくない別れたくないここに居たいと涙と鼻水まみれの顔でぐちゃぐちゃになる生き方の方が魅力的だ。そんな生き方ができたら、どれだけ幸せだろう。私はそういう生き方をしている人が心底好きです。

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