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「貴女は、理性の人なんだね」と言われた最近。ここ数ヶ月に起きたことに対する結論を淡々と述べていたら言われた言葉。この数ヶ月を誰よりもそばで見ていた人に言われて、少しだけ笑ってしまった。

理性って何だろう。「女性ってもうちょっと感情的になりそうなものだけどね」と言われて、そもそも女性イコール感情的というのもどういうものなんだろうと思うのだけれど。結局、感情に身を任せてもどうにもならないじゃん、と思う。多分、身を任せている瞬間は良いだろう。けれど後から絶対に痛い目を見る。だから、どれだけ歯を食いしばってもしんどくても、じっと耐える。巣穴に潜ってひたすら傷を回復する動物のように、ただただ耐える。そうやって頭の中で考えて考えて、未来の自分が如何に納得出来るかという答えをひたすら探す。

答えを探しているときは、ここで思いのままに出来たらどれだけ楽だろうと何度も考える。後先考えずに、打ち上げられた花火が散っていくようにいっそこの身も散らせてみようかと何度も考える。けれど結局しない。しないと言うより出来ない。私にはそんな勇気がない。感情に身を任せられる人はきっと、動いた結果出来た傷すらも抱えて未来を歩める人で、私にはその力がない。それだけの事なのだと思う。考えて考えて動いた結果、後悔をしないかといったらやっぱり後悔は必ず付いて回る。今だって頭の中を色んな後悔が駆け巡っている。けれど、感情的になって動いて出来た傷を抱えるよりは、後悔の方が抱えやすい。それを選択しなかった自分の責任は負いやすい。傷は生々しくてよろしくない。

 

植物を譲り受けることになった。よろしく頼むと言われてしまって、わかりましたと答えた。植物の具合はあまり宜しくないらしい。何だか似た者同士だね、と親近感を覚える。きっと、今までいた場所が植物にとっては1番好きなところだろうに、置いていかれちゃうのは寂しいね。私の家と相性が合うといいのだけれど。我が家は植物がダメになったことの方が少ないからきっと大丈夫とは思うけれど、後追いをしないでね。きちんと私と春を迎えてね。弱り切った体を春に向けて共に癒そうではないか。私に一つ仲間ができる。そこそこ乱暴に育て上げられていたけれどきちんと育ってきていたのは、本当にその場所が心地よかったんだろう。私もそれをよく知っているから、他人事に思えなくて笑えてしまう。置いていかないでよ、って声がする。きちんと連れて行ってよ、って声がする。(でもその声は誰の声だろうね)

 

心の中に決めているいくつかの事がある。けど、まだ言葉には出さない。大事な時にきちんと打ち明けられるように形作っている。これを言葉にできた時に、私はきっと今よりも更に強くなると信じて進む。ここで折れてはいられないのだ。まだまだ、先はあるのだからとひたすら鼓舞する。いつも、大切なことを決めるとじっと黙る癖がある。誰にも打ち明けずにひたすら胸に秘めておく。何故もっと早く言わなかったの、と言われてばかりいるのだけれど、こればかりは自分の中の準備があるからとしか言えない。自分の中でそれに備えてきちんと準備して、もう間違いも問題もないようになってからしか打ち明けられない。要は怖がりなんだと思う。怖がりの精一杯の強がりの時間。自分をひたすら励まして励まして、動ける時にやっと打ち明ける。きちんとやりたいと決めたことが思い浮かんだ時に言えるようになったなら、もっともっと逞しくなれるのだろうね。

 

正しい場所をひたすら探している。何処が適切な位置なのか、何処が問題のない場所なのか、ずっと探している。正しさには色んな種類があって、何もかもが正しくて何もかもが間違いでもあるとわかっていながら。一回の選択が大きな誤りを運んでくることを大人になると知ってしまうから、自分の立ち位置を何度も振り返る。ここは何処なのだろう。

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