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「貴女って誰に似てるとかそういう枠組みじゃなく、もう貴女っていうジャンルだよね」とここ最近3人くらいに立て続けに言われて心が折れそうになっていた。

私がいつも憧れているのは多数派の人間で、しかしどう憧れて頑張ってもそこに属せない。上手いことやろうとするのだけれど浮いてしまう。私は多数派の中でただ誰からも目立たずにのんびりと過ごしていたいだけなのに思春期の頃からそれが叶ったことはなかった。歳を重ねるにつれて多数派の威力にいよいよ勝てなくなってきた。もう私は私を投げ出してしまいたい、疲れた、私ではない私になりたいと思うのだけれど、そもそも私の中で想像する普通を装っても「貴女って不思議だね」と言われてしまうのだからどうしようもない。

多数派に属せないことは孤独だ。苦しい。情報社会の中で生きていると多数派の意見が圧倒的に私を殴りに来る。何故?どうして?と頭を抱えることばかり目に入ってくる。これができて当たり前、これに対してこう思うのが多数派ですよね、という賛同の暴力。私にはわからない。私には納得できない。そんなことばかり世の中に溢れていて窒息しそうになる。ここはとても息苦しい。私が幼いだけなのだろうか、私の考え方がおかしいのだろうかと自罰的になって考え込んでは頭の中が疲れてしまう。世の中が生きづらい。

そんな話を今日友人にしていたら、「貴女を1番認めていないのが貴女だから苦しいんだよ。周りはその貴女を求めているのに変わる必要ないんだよ」と言われて、深い深い呼吸ができた。この年齢まで変えられなかったものを変えるよりは受け入れる方が遥かに賢いと思うし、私が私を受け入れられずに私から逃げようとしていたのは事実だ。しかし周囲は「貴女だから好きだよ」と言ってくれていることもまた事実なのにそれをきちんと受け取ってこなかったのだろう。私は私をやめることをやめようと思う。私から逃げようとすることにもいい加減疲れ果ててしまったから。だってどこに行っても周りのいう「私らしさ」からは逃れられないらしいから。上手く隠そうとしても隠しきれないレベルなのだからもう致し方ない。ならば開き直って私はこういう人間なのですが!と受け入れていく方が健全である。今日の友人の言葉はとても嬉しくて心に残った。有難う。

 

どこに行ってもそれなりに合わせられるけど、どこに行っても居場所とは思えないまま生きてきた。合わせることばかり上手くなって、自分を誤魔化すことばかり覚えて、自分が何を求めていて何を欲しているのか、自分が実は何を考えているのかにきちんと向き合ってこなかった気がする。多数派の中に埋もれたかったから。多数派が羨ましい気持ちは今でも何一つ変わらない。すぐに変わるものでも無いと思う。けれど今日から少しずつ手放せていけたらいいなと思う。周りがどうしているかより、自分がどうしたいかだし。結局私はへっぽこな体と、考え過ぎてしまう頭と、人とずれた価値観で生きていく他無いのだとこの歳になってようやく向き合えそうな気がする。産まれた時に私に与えられた装備はこれなのだ、と認める他ない。

生きるのが上手い人はどんどん先へ進めばいいと思う。私にはどうやらそれが出来ないらしいから、あちこちぶつかりながらどうにもこうにも上手くいかないと言いながら生きていくよ。未来はとても不安だけど、それはきっとみんな一緒だし。結局、自分の生き方で生きていくしかないんだ。幸せって、自分の生き方を確立することなんだと最近思うんだよ。行ける人はどんどん先へ行けばいい。私は私の目の前にある道を着実に歩むよ。

 

とてもとても大切で敬愛している友人が来年結婚をするという。報告をくれたことがとても嬉しくてたまらなかった。執筆することに対してとても真摯な人で、書けなくなるといつも相談をしたし、逆に相談にも乗った。出会って10年近くになる。こんな風に生活は変化して、付き合い方も変化していくんだね。こういう変化なら大歓迎だ。面白いのが、私はこんなにもその人を好きだし敬愛しているけれど一度も会ったことがないという点。なんだかんだタイミングを逃したままここまできてしまった。若いうちに会ってしまっていたらきっとろくでもないことになっていただろうから、これで正解だったねと話した。本当にそう思う。どうか愛する人と手を取り合って日々穏やかに健やかに細やかな幸せを大切に幸せに生きてほしい。心からのおめでとう。

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