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人知れず大事なものを抱えているというのは誰にでもあると思う。それはその人にとっての価値でしかなくて、他人から見たらとても意味があるとは思えないかも知れなかったりして。寧ろ大事に抱えるということに執着してしまっているかも知れなかったりして。それでも手放す選択肢を選ぶ強さもなく、まだ手の中にギュッと握りしめたまま大切にしてしまうものがある。

手放すことは容易くて、手放してしまえばあっという間に何もかも終わってしまって、いっそ楽になれるかもしれない。大切に抱える義理はなんだ、どこにある?って開き直ってしまえば全ては何もかもその瞬間から遠いものになるし懐かしい形になってくれるかもしれない。大事にすればするほど、握りしめ続けることが苦しくなるのはどうしてだろう。いつだって今は過去になってしまうことを歳を重ねればわかってしまうから、手放したって今一瞬苦しいだけでいつかには何にもない日々になるとわかりきっているのに何故だろう。適切な答えはなんだろう?と何度も自分に問いかける。適切な答えは何処からも返ってこない。自己責任という四文字で終わってしまうことだから。何かを選び抜くというのはそういうこと。何かを抱えるというのはそういうこと。全ては自己責任で、誰も何も関係のないこと。人は時にどんなに間違っていても手放せないことだってあって、それがどれだけ自分を傷つけようと苦しめようとその人が握りしめてしまっている限り周りはどうすることもできないことがある。それはあまりにも悲しい。だから、そうならないようにありたいけれど、私はただの人間だから同じく間違えるし、周りから見たら私の抱えているものはガラスの破片のように私を痛めつけているだけかもしれない。痛いのに、痛くないフリが上手くなる。苦しいのに、笑うことに躊躇いがなくなる。ねえ、何をしているの。わからないね。

 

昨日から降り始めた雪は時折雨まじりになったりしながら地味に続いていて、部屋の中が急に寒くなった。温かいコーヒーがとても美味しくて思わず飲みすぎてしまう。そのせいで冬になると胃が荒れやすい。雪が降りだすと普段の曇天の時とは違って窓の外がやけに明るくなる。この景色がこれから数ヶ月続くんだ、と思うとたまらなく息が苦しくなって、身動きが取れなくなりそうになる。それでもきちんと足を前に、雪の上をギュッと踏みしめて歩まなければならない。

雪が降りだすほど寒くなった時の利点は、窓の外に飲み物を置いておくと勝手に冷やしてくれること。わざわざ冷蔵庫までの往復をしなくていいのはとても楽で、友人が集まった時などは非常に便利。お酒のストックを窓の外に置いておけるし。といってもお酒は友人と会った時くらいしか飲まないから結局利点をあげるのは難しいです。雪害というくらいだから、基本は害でしかない。しかし雪の降らない地域の人が数日こちらにくると異常なほどテンションが高くなってあちこち写真に収めるから面白いね。いっそ遊びにくるときはワンシーズンおいで、と言いたくなる。一週間いてごらん、嫌になるよと。

 

気付いたらこんな歳になってしまっていた、としか言いようのない時間の速さで歳を重ねてきてしまったので、いい加減きちんと歳を重ねることを覚えたいなと最近思う。いよいよ、そういった考え方をしないとあっという間に人生が過ぎ去ってしまいそうで怖い。何かに夢中になることで駆け抜ける時間はとても素晴らしいのだけれど、そういう訳でもなくここまでふらりと漂ってきてしまったから宜しくない。そういえば知らないな、と思うことが世間に山ほどあることに気付いたりして呆然とする。このままでは良くないな、と。面倒臭そうだなと遠回りしてきたこと、これはいいやと避けてきたこと、そういったものに対処してみるのもいいかもしれないなって思うようになった。結果的に感想が変わらずとも経験値として有りでしょう。経験しないのは勿体無いね。しなくてもいい経験と、した方がいい経験の違いは何だろう。結果の捉え方でしかないのだろう。でも、経験した結果しなくてよかった!って泣くのはもう避けたいなと思うから、やはりそういったものを回避するためにも経験は必要なのだ。

 

分岐点にいるのだろうな。私はどちらへ進もうか。

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