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雨-忘却

久しぶりに長距離運転をした。私にしてみたら長距離なだけで、隣町までを二回往復しただけ。人を隣に乗せているとなんであんなにも肩に力が入ってしまうのか。普段1人でしかウロウロしないから怖くて仕方ない。そして私の目は光にとても弱い。だから夜道の運転は対向車のライトが目一杯に入ってきて苦しい。雨の日は余計に。これどうにか治らないものかと思うのだけれど、ダメらしい。雨の夜道は運転しちゃいけないなと心から思った今日。けれど基本的に運転は好き。体調が良くて疲れていない時限定でしか出来ないけれど、とても好き。特に目的地を決めずにあてもなく何処かにふらふらとしに行くのが好きだ。結局毎度たどり着くのは海だったりして新天地に行くことはあまりない。そして海にたどり着いたところでじっくりする訳でもなく5分程度で帰ってきてしまう。そういえば、外でのんびりすることが苦手だ。なんだか無性に虚しくなってきて、孤独感が募ってそわそわしてきて、「早くお家に帰ろう」と思ってしまう。根っからの出不精。

 

どれだけ祈った所で、願った所で、無意味なのだなという一つの現実を知る。時の流れを味方につけた現実は本当に容赦がない。此処に在るけど、此処に無い、漠然とした立体と感触。此処に在るのに、此処に無い、共有しているはずの時間と輪郭。いつの日にか、此処に在ったけど、もう此処には無いになってしまう気がして、何度も何度も記憶に残すように形を辿った。まだ、此処に在る、大丈夫。まだ、間違いなく此処にきちんと在る。今を生きている限り私は何処までも弱い。愚かしいほどに弱い。だから、今の私に出来る精一杯は「私は此処に在って、此処以外の何処にもいない」と叫ぶことくらいだ。

 

久しぶりに眺める駅の中は道行く人全てがきちんと帰る場所を持って足を早めていて、なんだか少し羨ましかった。私は何処へ帰るというのだろうね。いや、お家に帰るんだよ。でも、何だか何処でも無い気がしてしまうよ。高校生の笑い声、サラリーマンの咳払い。見送ることばかり増えていく。皆、手を振って帰っていく。それぞれの場所にきちんと。そういえば、自分は人を見送ってきたくせに見送られることは苦手だ。見られていると思うと感傷に浸る余裕すらない。だからいつも、此処でいいよ、と笑う。見送ろうとする人を全力で止めてしまう。1人になった瞬間に、1人になったと心の底から実感したいから。さあ、きちんと立てよ、と自分を鼓舞する時間が必要なのだ。見送った後も、見送られた後も一緒なのは、世界がやけに遠く感じて周りの音が聞こえなくなること。一瞬、自分の立ち位置を見失うのだと思う。此処は何処だ?

 

題名は宇多田ヒカルから。この曲の歌詞がたまらなく体に突き刺さる。いつか死ぬときは手ぶらがベストなんだよ。何も持っていきたくないね。体一つで飛び込むように終わりたいね。そう思う。誰のことも思い煩わず。何のことも考えずに。ただただ、飛び込んでしまいたいね。

 

どんな言葉を並べても、本音というのは隠せないから嫌だなぁ。言葉に滲み出てしまうから、文章って嫌だね。今日の私はただの寂しがりやだ。子供みたいだな、と笑ってしまうよ。明日からまた、頑張ろうね。今夜はとことん寂しがろう。それだけ幸せだったのでしょう。それだけ楽しかったのでしょう。それで十分。ただ、溢れる感情は閉じ込めておけない。蓋をするより、並べてしまおう。湿った感情は乾燥させてからきちんとしまおう。いずれ乾いた時に、ああこんな日があったねと笑えるようにね。

 

「すべては当たり前じゃないんだよ」「今この瞬間だけが確かなんだよ」

 

 

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