読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

続:雪

真冬の深夜はやけに静かで脳内のざわつきが一層加速していく。夏から途切れていたはずの記憶が、この所少しずつ思い出せるようになった。高まりすぎた感情の投げ合い。キャッチボールと言うよりはドッジボール。わかってよ、わかってくれよの日々であった。人は窮地に立たされると余裕を失う。相手の立場が何も考えられなくなって、自分の感情を知ってほしいと言う願望ばかりが優先する。やけに眩しく見えるのは白いカーテンが風に揺られている瞬間と、開け放った窓から入り込む風の心地よさ。1人残された部屋の中でぼんやりと風に撫でられながらカーテンを眺めていた。

向き合えていたかと言えば向き合えていなかったのだろう。だって互いが互いの意見をぶつけ合っているんだ。向いている方向性がまるで違った。今になって記憶がシアター化してわかることがあるなんて、おかしいね。それでもやはり映像は時に途切れ途切れで、泣きすぎて頭が痛くなってしまっている自分が映ったかと思えば、まるで終わりなど嘘なんじゃないかというくらいに寄り添いあっている2人の映像が入り込んでくる。そんな風に私は過ごしていたんだね、とやっと向き合い始めている。ゆっくりと噛み砕かないといけない。これは誰に向けてでもない、私のための手記だ。私はあの日々ときちんと向き合わないと次の一歩に進めない。もう思い出したくもないと蓋をしてしまうことも一つの手だけど、蓋をしてしまったら未来に繋げられない。私はこの記憶をきちんと未来に繋げたいから、この記憶からは逃げない。この記憶を消化しない限り、私は差し出された手を掴むことを躊躇い続けるだろう。あの日々の決着が私の中でついていないだけなんだ。それだけのこと。私個人の我儘でしかない。

もうそんな日々のことを眺めるのはやめようよって声がする。過ぎたことなんだからもういいじゃんって。誰の声かもわかっている。でもね、私にとってはこれが全ての起点になり得るんだよ。これをきちんと消化できるか否かで今後の身の振り方が決まるんだ。後腐れなくいきたいでしょう?つまりはそういうことだよ。

私が私にしてあげられることを必死に模索している。ここでやり方を間違えたら、数年を無駄にするだろう。だから真剣に向き合っている。あの日一度死んでしまった私をもう一度蘇生させようと試みている。あの日に死んだ私からの反応はまだない。それでもまだ、諦めたくはないのだ。私よ、たくましく強くあれ。何にも怯まず真っ直ぐに立て。全ては一度の人生だ。全ては過ぎ去るものだ。何も怖がることなどないよ。現実も夢も紙一重だよ。だから、どうか生き返って。

広告を非表示にする