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雨-有終の美

タイトルはCoccoから。

2017年ですね。西暦ってあまりピンとこない。ふーんっていう感覚。けれど、平成になると心がぞわぞわする。うわっ、もうそんななの!?って。単純な心。

 

元日から専門学校時代の友人の家で、当時の友人達と鍋を食してきた。全員集まったのは3年ぶりくらい。けれど、時間という概念がそこには存在していなくて、友人達の笑い声を聞いていたらあの頃と何が違うのだろうと不思議な感覚に陥った。あの日々となんら変わらない笑い声が響いていて、愚痴という生々しいものも無くて、ただただ穏やかで優しい時間があった。それを鍋の残り汁で作ったうどんを煮込みながら私はキッチンから眺めていた。私は周りのみんなより2歳年上だ。たった2歳だけれど、この歳になるとされど2歳で。みんな逞しくなったね、大人になったね、けれど笑い声は何一つ変わらないんだねってにっこり。はしゃいで笑うみんなが愛しくて愛しくて、時間があっという間だった。一人一人抱えるものも変わった、悩みの種も変わった。それでも集まれば誰一人小言を言わずに笑い合うんだね。それをとても美しいと思った。日常から飛び出してあの日々を繰り返すような、そんなある意味異世界のような時間だった。それでもみんなで揃って写真を撮ればきちんと歳を重ねているのが顔に出ているから、写真は優しくないなぁ。

 

一つの決意をした。これは2016年のどこかからずっと胸の中にあったのだけれど言葉にならなくて何だろう?ってムズムズしていたもの。年を跨いだらどうやら言葉になったみたい。今年は受け身をやめようと思う。人に対して。捨てたい人は私を捨ていけばいいし、置いていけばいいし、道が別れても仕方ない。私は、私の価値観で道をきちんと選択して歩んでいこうと思う。愛されるには愛すことだとか、知りたいならまずよく観察することだとか、どちらかというと受動的?(愛されるには愛すことって能動的よね)な性格なのだけれど、今年は能動的でありたいなと思う。ちなみに昨年は幸せに対して図太くなると決めたのだけれど、それはそれなりにやったと思う。案外自分は図々しいんだなって発見があったし、常識の範囲内で済ませられることばかりじゃないこともきちんと学んだ。そもそもその「常識」とやらは何を定義とするかって話なのだけれどね。自分って結構傷だらけになっても求めることをやめない人間なんだなって知ったらちょっと可笑しくて。醜いまでに人間臭いじゃないかって。だから、今年は能動的でありたい。

歳を重ねれば重ねるほど「常識」がわからなくなってくるし、自分に必要なものが綺麗なものばかりとは限らないことにも気付かされるし、それでも裏切れないものが沢山あることも知ってしまう。生きるって生臭い。そんな生臭さを隠さない人間になりたいなと思いました。弱いときはどこまでも弱く、けれど立ち上がるときは図太く。メリハリをつけていきたいです。情だけで色んなものを掴み続けるのはもう辞めだ。

 

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