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晴れ-叱られた

奇遇にも同じ疾患を持っている友人がいる。
私を姐さんと呼んでくる素直で優しい人だ。
そんな友人に沢山叱られた。
「どうしてもっと自分本位になってあげられないんですか!相手の状態ばかり考えていたらいつまでも頼れないじゃないですか!」
「姐さん、自分のことを他人事のように話してしまってますよ。気付いてますか?」
「死んでしまいそうで怖いですよ。死なないでくださいね。やめてくださいね」
「すべてを諦めようとしているような言葉で話さないでください。悲しいです」
なんだかあれこれと言われた。因みに死にそうな話は何一つしていない。
全てを諦めているつもりで話したわけでもない。
ただ素直に最近あったことを話して、それについて思ったことを話していたら、上記のお叱りを受けた。自覚がまるでない。

どうやら私は人の目から見るとなかなかヤバイ状態らしいことは把握した。
下手したら入院もあり得ますよと言われてそれだけは嫌だと本気で思った。
私は意地でも病棟にだけはぶち込まれたくない。その経験はしたくない。
ただ、感情が麻痺してきている事だけは気付いている。段々嫌なことがわからなくなってきているのと同時に、自分にとって嬉しいことや楽しいこともあまり感じなくなってきている。
何故、今の環境を保っているのか。
何故?そもそもどうしてだったっけ?

「頼れ」と日曜日にも言われた。
でも、人にはそれぞれやるべきことがあって、環境があって、乗り越えなければならないことがある。
それを考えると、頼るという選択肢を選ぶことが出来なくなる。各自それはやるべき事なのだろうなと思ってしまうから。
事実、それなりの努力をしている最中の人に頼りたいとして、そこで頼れるかと言われたら私は無理だ。努力に割く労力を私に使わせたくない。
というか、そもそも頼り方を忘れてしまった。前はもっと辛い時に辛いと訴えられたのだけれど、我慢をしなければならない環境が長く続いたら頼り方がわからなくなった。
何から話せばいいのかわからない。話すことで何になるのかもわからない。根本的な解決には至らない。ならばしなくていい。極論だ。
私の求めている根本的解決はその場しのぎの頼るじゃない。もう、その時期は過ぎてしまった。それで救われるレベルでは無くなった。
それはわかる。自分でもいよいよきてるぞって何となくわかる。頼るにもエネルギーがいる。そのエネルギーがもう無い。そもそも何が辛いのか言語化出来なくなっている。出来ているうちに、頼れと言われたかった。タイミングってあるよねって話。それが遅かっただけの話。

それにしても死にそうには流石見えないだろうよと笑ってしまった。そんなにきてるのか?わからない。そう感じさせたなら申し訳ない。色んなものに対する期待をやめたことと、諦めを覚えたことと、信用が出来なくなっていることを感じ取らせてしまったんだろうな。ごめんね。そんなつもりはなかったんだよ。

ベッドの居心地が悪くて仕方ない。
フローリングの冷たさと硬さが1番安心する。夢を見るほど眠りにつかないし。2時間以内に必ず目を覚ませるし。便利だ。
掛け物も枕もいらない。硬い床に死んだように寝そべるその時間だけが今の私の幸せ。

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