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雑記:思った事をありのまま書いていたらどうなるのだろうね

見た目が大体の印象を決めてしまうというのはとても悲しいことだと昔から思っている。
目から入って来る情報はそれだけ多く、致し方ないし、所詮他人の感じたことなど此方側は変えることもできないのでどうしようもないのだけれど。
それでもやっぱり、悲しいなと思う。


昨夜ふと、余裕がないのだなと気付いた。
私はマイペースなのだけれど、他者との繋がりが生まれた時に自分のペースでいいよと言われてもそれが上手くできない。
目的があって、それに対する下準備があって、そして果たしたい目標があって…と考えていくととてもマイペースにはしていられなくないか?と思う。
関わる人数が増えれば増えるほど、そして自分の置かれている位置がどういう位置か考えれば考えるほど。
特にいま私が置かれている立ち位置は人が動いて結果を出してくれないと動けない立場なので余計そわそわしてしまうのだと思う。
昔からみんなで楽しくとか、みんなでワイワイが根本的に下手だ。
あなたも楽しんでいいよと言われても、いきなり遊び方のわからないおもちゃを差し出された気分になる。
だから、今関わっている人たちと居る時はいつも訓練のような気持ちになる。
ワイワイすることの訓練。楽しむ訓練。


幼稚園に入る前の遊び相手は、近所の女の子たちは一斉に私を省いていたので結果的におじいちゃんおばあちゃんだった。
近くの家によく庭の剪定をしているおじいちゃんがいて、くわえ煙草でバチバチと剪定をしていて。
そこを私が通るとニヤリと笑って脚立から降りてきた。そして、そのおじいちゃんの特別の部屋によく入れてもらった。
薄暗い小屋の中に色んな剥製がズラリと並んでいて、知らない演歌が流れていて。コップはいつ洗ったかわからない小汚さなんだけれどそこにお茶をいれてくれて。
けれど何を話すわけでもなくて、おじいちゃんは演歌を歌ったり剥製をいじったりしていて。
私がいる事は御構い無しで。ただ、それがとても嬉しくて私はそのおじいちゃんが大好きでたまらなかった。
殆ど会話はしていない。「お?来たな?」と言われることと、おじいちゃんのタバコの匂いと、剥製の多さと、コップの汚さと、知らない演歌。
幼い私は何を考えてそこに居たのか知らないけれど、居心地が良かったことだけは事実だ。
そのおじいちゃんの家庭は、私が小学生になった頃ある日忽然と姿を消した。夜逃げに近かったらしい。
だから、さようならも何も言えていない。
私の年の離れた特別で大好きな親友のようなおじいちゃん。最近その人のことをよく思い出す。
私と遊んでくれていたおじいちゃんおばあちゃんは皆んな亡くなっていった。あの頃の私を知っている人たちはもう居ないんだな。


吉本ばななの本をよかったら読んでと渡された。本の共有をしたいと思ってもらえることはとても嬉しいことだ。
だから、きちんと読もうと思う。スイッチさえ入れば2日で読み終えられるだろう。
私は何を共有しようかな。読み終えた時に、私からも何か渡したいなと思っている。


日記にもならないような雑記しか今は打てない。薬がまだ体と仲良くしてくれなくて驚くほどにパワーが出ない。量も少ないから仕方ないね。
本当に書きたいことはいつだってウェブには書けないんだ。